天中殺について

算命学に感心のある人が、一番知りたいのが「天中殺」でしょう。

この天中殺理論、もちろん算命学の肝なのですが、理論的にどうなのかは説明も難しいので割愛させていただきますが、どういうものなのかは説明させていただこうと思います。

●天中殺って何?

人生を上手く生き抜くために、私たちが道しるべの役割を果たすとしても、避けて通れないのが「天中殺」です。誰でも必ず12年に一度(2年間)、廻って来ます。

人生には天中殺といわれる年回りがあります。それは一人一人違っていますが、基本的に十二支のうち二支です。意味を簡単に述べれば、天中殺時には天が味方しないと言うことです。特に契約にまつわるもの、新しいことを始めるには避けた方がよい年といえます。

開業、新築、結婚、移転、転居、就職等々、は天中殺を避けた年にするのが原則です。

どういうことかと言いますと、開業なら仕事は上手くいかず、新築、移転、転居では、良い物件家相に恵まれない、結婚では最終的には壊れるということが待っています。

この「天中殺」の期間は、自分が思い描いていることとは逆のことになる場合が多いんです。天中殺をちょっとだけ知っている人で、この時期にとても悪い災いが起こると思っている人が多いようなんですが、でもそれは間違いです。天中殺だからといって悪いことが起こるわけではありません。

ただ、先にも書きましたが、思い願っていることと違う結果になりやすいんです。実際は「天中殺」が悪い時期なんじゃなくて、自分の選択、言動が間違っている、自分自身が悪くしているんですね。

どういうことかというと、

動いてはいけないと警告されている自然の法則に逆らって、新しいことをスタートさせたり、欲を出して動いたり求めたり、その結果、その欲望とかけ離れた結果を自ら引き寄せているというわけです。

だから「成功したい」と思っていたら、成功とは反対の現象が起こるんです。「天中殺」の時は、欲を出して生きない方がいいですよってことです。

実は営利・利益が絡まないことにはあまり影響が出ないんです。例えば試験や資格取得のための勉強とか、ボランティア活動とか、直接的に利益を生まないことならいいんです。いや、むしろ、天中殺期間は勉学に対しては集中力が発揮される期間なのです。

天中殺は、全てに悪い年と言うわけではなく、むしろ次のステップのための勉強期間と考えた方が良いと思います。日常生活に対してはいつも通りで大丈夫です。この時期にどれだけ人生の勉強ができるか、蓄積ができるか、そのエネルギーがその後の人生に大いに役立ちます。

このように、天中殺にどういう行動をすると、どういう結果になりやすいのかというものが、理論上、数々あります。ようするに、タイミングを知って行動してくださいということです。

 

●天中殺の歴史

天中殺期間は人間の一日で考えると、ちょうど活動をしていない夜の状態です。

天中殺の現象を人類が始めて掴んだのは、今から約7000年前、ヨーロッパの地中海地方(現在のトルコ)に伝わる、ゾルアスター教(拝火教)の中にそれらしきものがあります。ゾルアスター教は、人類最古の宗教と云われているものです。

そこで捜し当てた天中殺現象がインドに伝わり、インドにおきまして『涅槃』 (仏の死に際しての姿)と云うことでの解釈となり、中国に伝えられ天中殺と云われ、更に日本に渡ってきまして、『空亡』(空にして亡なり)と云う言葉に変化しています。

このような経過からも人々は何となく運の悪い時期と云う解釈をしていくようになりました。また、事実世界中の様々な占いにおきましても、名称は様々ですが、運の悪い時期としての判断に使っています。

しかし、算命学では、単に運の悪い時期であるとの解釈だけに留まらなかったのは、古代の人が天中殺の理論を解明したからです。 天中殺の理論が解れば、病気に対する薬が解る様に、様々な対応が可能となって行くのです。

 

●人間の器

天中殺期間に入ると、心が不安定になることが特徴の一つです。通常、人間の幸運・不運は、一人の人間として必ず限界があり、この限界を『人間の器』と称します。しかし、天中殺期間になると、運命の休止期間でもありますので、個人の運命の限界も無くなってしまうのです。

しかし、いくら運命の休止期間中だからといっても、実際には運命が人間の活動と伴に休みなく動いていってしまうので、限界が無い分、結果的に大きな不運が起こってしまう。特に心が不安定になる人は、自分の運の器よりも大きく落ち込んでしまう人であり、天中殺になると器から外れてしまうのですから、大きな悩みや苦しみに遭遇していきます。

基本的な解決策としては、自分自身の器を心得て、その器を天中殺期間にははみ出さないようにすることが肝心なのです。自分の器に合った(いつも通りの)生き方をしなさい、器以上の欲を出さない、そういうことなのです。

人間がこの世に生きるということは、神の下におきま して平等ですが、個人の運勢パターンは、限定された器の中を上下する、決して平等ではありません。そして現実はそのままで、器の欠如がおとずれる、この状態が天中殺なのです。

出来ることなら天中殺期間は全ての物事に対して、受動的に過す、又、自己の精神面を高める時として利用することです。