ダメな理由を伝えよ

誰かにダメという否定をするときは、
ダメであることを納得させる必要があります。
特に子どもには。

それに、ダメの中に良い点が多々含まれていますから、
ダメなことを良いことに変換する知恵と努力、
それを大人がうまく使うのが大切です。

子どもはまだまだ理解力も少ないし、
正誤の判断も弱い。
なので、間違った事をすることも仕方がないところ。
であるなら、間違った事、ダメだった事を
理由をわかるように説明して
正しい事を教えるのが、大人の役目なのです。

感情だけで怒っている間は発展は無い。

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世の中には無意味なものは無い、
無駄なモノもない。
それは、世の中にダメなものも無いということ。

一見ダメなことでも、それは、
まだ完成していない、その途中、過程だというだけのことです。

未完であるから、どうやってダメなものを完成させるか、
ダメなものを活かすか?
それを知ること、教える事、
それにかかっています。


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心の強さを作る方法-2-

子どももそれぞれ、心の鍛え方は違っています。
ただ共通して言える事は、
才能を活かす事であるということです。

人には“こころ”が追い求める才能というものがあります。
それを使うことで自分に自信がついたり、
心が安定したりします。

嫌な事を3年続けるのもいいですが、
心が欲して止まないもの、
それをする事で心が満足するというもの、
それを追求させてください。

やりたいことはやらせてあげるのです。

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モノを集めることでもいいし、
何かを調べることでもいい、
スポーツでもいいし、音楽でもいい、
誰かのファンになることでもいい、

その結果、心が強くなっていくのです。
好きなことをやり続けるということは大切なのです。


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心の強さを作る方法-1-

子どもの心の強さを作る方法は、
家事でも習い事でも勉強でもスポーツでも
コツコツと継続させることです。

嫌々だったとしても、
最初のうちは嫌だなと思うわけですが、
半年くらいすると嫌な事にも奥の深さが見えてくる、
その時に心というのは非常に強くなるのです。
嫌いなことでも3年くらい続けてやることが大切です。

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「嫌々」は身につかないという人もいますが、
そんなことはないです。
確かに技術が身につくには時間がかかるかもしれませんが、
心の強さは付くのです。

ただし、子どもの頃の無理強いは意味がないので、
3ヶ月たっても、本人が嫌なら、別の方法に変えた方がいい。
そういう臨機応変な対応も、子どものうちは必要なのです。


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言葉にはエネルギーがある

いつの時代も言葉遣いが運気を左右する場合があります。
言葉にはエネルギーがあり、
そのパワーが相手に伝わって行くからです。
良い言葉は良い気として伝わり、
悪い言葉は悪い気として伝わります。

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「気」と「言葉」は連動します。
増幅すると言ってもいいかもしれない。

気がのらなくても、言葉で奮い立たせるということが出来ますし、
どんなに良い気を持っていても、選ぶ言葉を間違えれば、
マイナスに作用します。

毎日の生活はもちろんですが、仕事にも影響します。
接客業では、言葉使いが基本になるのは、
それだけ言葉が重要だからです。
言葉遣いの悪いお店や、言葉に覇気のないお店には
行きたくないと思いますでしょ。

特に子どもの場合は、親の言葉使い、
親のしゃべり方に大きく影響を受けます。
乱暴な言葉や、辛辣な言葉、意地悪い言葉を使う人の子は、
それを受け継ぐことが多い。

優しく温かい言葉を使う人の子は、
同じような使い方が出来るようになる。
親の言葉遣いがそのまま子どもの運気に関わるということです。


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人生を山登りに例えると・・

人生をマラソンに例えたり山登りに例えたりします。
生きている間、頂上に向かって歩き続ける
というイメージが人生なわけで、
雨の日もあれば、晴れの日もある、
一気に駆け抜けるときもあれば、
休憩するときもあるのです。

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人生を山登りに例えると、
15才ぐらいまでの子どもは、
既に山を登り始めてはいるのですが、
まだまだ準備しながら平坦な道を歩いて
本格的な厳しい山道に備えている時代です。

知識を身につけたり身体力を養ったり、訓練のようなものです。
そして行事や節句などを通して、
周囲の自然の神様たちにご挨拶に回ったりしているわけです。

15才になれば、いよいよ道が傾斜していく、
60歳になって、ようやく5合目というところです。


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親と子の相違

親と子は一緒に暮らしていても、本質は違います。
しかしやがて子は親とよく似た大人になって行く。
そこに親と子の因縁ともいうべき
形になって見えない結び付きが存在するのですが、
それを受け入れて暮らすことに大切さがあります。

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「鳶が鷹を生む」とか
「カエルの子はカエル」とか、
親子の関係を表すことばは数々ありますが、
運命学的に言うと、
親子関係を形付けるのは、「宿命」と「環境」です。

「鳶が鷹を生む」は、親と子であっても、
宿命の質は違うので、全く違う人格なのですが、
そこには何かしらの共通性はあるのです。

「カエルの子はカエル」は、宿命的な共通性というものは確かにあるのですが、
環境の影響が大きい場合が多いのです。
親の育て方や、親の考え方、親の好みなど、家庭環境が子どもを作るのです。

子どもが親に似てしまうポイントはココなんですね。


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春分とお彼岸

今日は『二十四節気』の「春分」です。
ご存じのように、太陽の中心が春分点
(天球上の赤道を太陽が南から北へ横切る瞬間の交点)
に達し、地球上の昼と夜の長さがほぼ等しくなる時です。
そしてそれを前後に7日間を「お彼岸」としています。

「お彼岸」は昔の人が春分・秋分に気付いてから、
宗教の世界で用いられるようになりました。

真西に日が沈むこの日、西方に浄土があるという仏教の教えと、
春分・秋分は昼夜が等分で長短のない中道の時で、
仏道もまた中道を尊ぶところから、
この時に仏事を行なうという考え方が生まれたと言われています。

仏教では大きな川をはさんで向こう岸(彼岸)に仏の世界があり、
私たちはこちらの岸(此岸) にいる、
我々の住む世界(此岸)が迷いの世界であるのに対して
「彼岸」は理想の世界、汚れのない浄土の世界なのです。

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「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますが、春の彼岸は夏支度を始めるという
昔の人の季節感と生活習慣だったのです。
そして彼岸は、この世に存在する全ての自然の神に感謝するということです。

あまり馴染みは無いかも知れませんが、仏教の「彼岸」に対して、
神道には「社日」というものがあります。
「社日」は春分点・秋分点の日に最も近い戊土の日と定められています。

仏教が悟りを求めて先祖をしのぶのに対し、
神道では、神と一番近づく日であるので、
土地の神や農業の神をまつる日としています。


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親孝行したいときには親はなし

多くの子どもは、青少年期に親に反抗します。
親に感謝の念をいだくときは、
そろそろ白いものが頭に目立つ年頃となっているものです。
その時に親が健在であれば幸福な人と言えるでしょう。

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若い時代は、自分のチカラだけで生きていっているような、
世の中が自分中心に回っているような錯覚をします。
でも、実際は、親や先祖、
そういう見えないチカラが働いているのです。
どんなに親からの仕打ちが辛かったとしても、
親からの恩恵を受けたことが無くても、
世に反した親だったとしても、
親がいてこその自分なのです。
それを肝に銘じて生きていくこと。

愛情を注いで育ててくれた親が健在であれば、
感謝を忘れずにいること、
それを態度や言葉で表すことが大切です。
どんなに理不尽で憎しみが沸く親であっても、
それは変わりないのです。

自分を振り返ってみてください。
親に反抗したことがあれば、
子どもも同じように反抗するものです。
そして、親のありがたさや感謝は、
子どもがあなたと同じくらいにならなければ感じないと
思っておくことです。

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学校生活に爪痕を残す

小学校も今週いっぱい、
22日が卒業式で、23日が修了式

ウチの娘は卒業式での在校生の贈る歌の
ピアノ伴奏をやるようです。

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よく芸人さんがTVで
「爪痕を残していきたい」なんて言いますけど、
娘も「在学の記憶」として臨んでいるらしい。
もちろん卒業生に対しての想いも込めるようですけど・・

自分が小学校の頃、
“何か爪痕を残す”的なこと考えて過ごしていただろうか?
積極的に何かに取り組んだわけでもなく、
クラス委員だって、しかたなくやっていたし・・

娘(今の子達)は、昔の自分より、
「生きる」ってことを、しっかり考えているのではないかと
ふと思うわけです。

 

 

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彼岸の持つ本当の意味

春の彼岸は、これから夏へ向かうという意味で、
先祖供養なら紫や白や青といった涼しい花を供えてください。
食べ物も、簡素で夏の暑いときでも食べやすいものを添えます。
そういう心遣いを先祖にも行なってほしいということです。

そういう仕来りが古来より有ります、
春、秋、のお彼岸になると、いつも紹介しているものがあります。
算命学十三代宗家、高尾義政先生の残した「彼岸」についての
お話の一部を書き添えます。
今回も、ぜひご覧下さい。

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お彼岸の行事と言いますのは、
いつ位から出来たのか考えられた事が有るかと思いますが、
日本では平安時代なんですね、
実はお彼岸の行事は、これは七五三のお祝いも
全て中国からの輸入品なんです、

日本古来にそういうものがあったのでは無くて
古代中国人が考えて中国の一つの仕来りとしてあったものが
いつの頃からか日本に入って来まして
日本の行事に生まれ変わって来る、

それが仏教と一緒になりまして
実際にお彼岸の原理と仏教とは本当は関係無いんですけれども、
いつの頃からかそれが合流しまして
仏教の儀式というような形で日本に伝わって来てる、

彼岸は誰の為にやっているかというと、
自分の為にやっているわけです、
遊ぶ心で仏様と一緒に遊ぶわけです、
自分だけが遊ぶわけでは無くて、
お墓へ行って、おばあちゃんこんにちは、この頃どうしていますかとか、
あの世の水は冷たいですかとか、お墓で会話をします、

今日はお墓で弁当を食べて花見でもしようと
茣蓙を引いて一杯飲んでも良いんです、
お墓を磨きながら鼻歌で一杯飲みながら
そういう楽しみながらお墓参りをすると
そこに非常に一家中そろって親も子も
何となくほのぼのとした明るさが生まれて来る、

それはどういう事をこのお彼岸が教えているかというと、
特別に人間というのは大仰な生き方をしなくても
人間にとって一番素晴らしい生き方というのは
普通の人、ただの人なんです、
これが一番大切なんだという事なんです、

私はこういう天才だとか、私はこういう実力で大成功したとか、
そんなのはあんまり偉いほうではないです、
当たり前に普通に来た、
そういう生き方が一番素晴らしいですよ
という事を教えているわけです、

そして人間の体あるいは生命体そして運命
そういうものを取り混ぜて非常に良いサイクルで
人間がある時に自分を思い返す、
そういった事を教えてくれているわけです、

「お彼岸の祀り方」より一部抜粋/1986.9.13

これが彼岸の持つ本当の意味です。

どんな時でも場所でも、
日常的に先祖を思い浮かべ感謝が出来る人なら、
墓も仏壇も位牌も必要はない。
でもなかなか先祖に思いを馳せられない人は、
その機会というかキッカケとして墓に行ったり、
仏壇に手を合わせればいい。


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