カテゴリー別アーカイブ: 時代・文化・慣習

七・五・三の持つ意味

人は誕生して
3年で天地人の気をもらい人間の仲間入り、
5年を使って地球を構成している5つの地上の神の気を受ける、
7年かけて宇宙の気をもらい、やっと男と女の区別がうまれる、
それが七五三のお祝い。

11月15日は七五三です。
子どもが生まれて成人するまでの間、子どもの幸福を願う上で、
七五三のお祝いは、その中心的な行事となっています。
子どもの未来を祈って神殿に手を合わせる親子の姿は
理屈抜きに微笑ましいものです。

多くの親たちは、世の中のしきたりとして祝っているのでしょうが、
実はそのしきたりの中にも、算命学の原理が含まれているのです。
七五三のお祝いは、なぜ三と五と七でなければならないのでしょうか?
なぜ二と四と八ではいけないのか・・。
そうです、七五三は、東洋の先輩たちが深く考えて作り出したもので、
別にゴロ合わせではないんです。

全国の七五三を迎えたお子様をお祝いしたいと思います。

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娘が3才の時…、お母さんの着物のお下がりです。


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恒例/お彼岸の祀り方

秋の彼岸は、これから冬へ向かうという意味で、
先祖供養なら温かく感じる赤や明るい色の花を供え、
食べ物も、団子とか餅米など保存が利いて
栄養価の高いものを供えます。
そういう心遣いを先祖にも行なってほしいということです。

そういう仕来りが古来より有ります、
恒例ですが、
算命学十三代宗家、高尾義政先生の残した「彼岸」についての
お話の一部を書き添えます。
今回も、ぜひご覧下さい。

 

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お彼岸の行事と言いますのは、
いつ位から出来たのか考えられた事が有るかと思いますが、
日本では平安時代なんですね、
実はお彼岸の行事は、これは七五三のお祝いも
全て中国からの輸入品なんです、

日本古来にそういうものがあったのでは無くて
古代中国人が考えて中国の一つの仕来りとしてあったものが
いつの頃からか日本に入って来まして
日本の行事に生まれ変わって来る、

それが仏教と一緒になりまして
実際にお彼岸の原理と仏教とは本当は関係無いんですけれども、
いつの頃からかそれが合流しまして
仏教の儀式というような形で日本に伝わって来てる、

彼岸は誰の為にやっているかというと、
自分の為にやっているわけです、
遊ぶ心で仏様と一緒に遊ぶわけです、
自分だけが遊ぶわけでは無くて、
お墓へ行って、おばあちゃんこんにちは、この頃どうしていますかとか、
あの世の水は冷たいですかとか、お墓で会話をします、

今日はお墓で弁当を食べて花見でもしようと
茣蓙を引いて一杯飲んでも良いんです、
お墓を磨きながら鼻歌で一杯飲みながら
そういう楽しみながらお墓参りをすると
そこに非常に一家中そろって親も子も
何となくほのぼのとした明るさが生まれて来る、

それはどういう事をこのお彼岸が教えているかというと、
特別に人間というのは大仰な生き方をしなくても
人間にとって一番素晴らしい生き方というのは
普通の人、ただの人なんです、
これが一番大切なんだという事なんです、

私はこういう天才だとか、私はこういう実力で大成功したとか、
そんなのはあんまり偉いほうではないです、
当たり前に普通に来た、
そういう生き方が一番素晴らしいですよ
という事を教えているわけです、

そして人間の体あるいは生命体そして運命
そういうものを取り混ぜて非常に良いサイクルで
人間がある時に自分を思い返す、
そういった事を教えてくれているわけです、

「お彼岸の祀り方」より一部抜粋/1986.9.13

これが彼岸の持つ本当の意味です。

どんな時でも場所でも、
日常的に先祖を思い浮かべ感謝が出来る人なら、
墓も仏壇も位牌も必要はない。
でもなかなか先祖に思いを馳せられない人は、
その機会というかキッカケとして墓に行ったり、
仏壇に手を合わせればいい。


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自分はどういう人間なのか?
先祖との関係で自分が背負っている宿命って何なのか?
自分の才能は?
これから自分はどうなっていく?

その疑問にお答えしています!!

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民族教育はこれからの日本に必要

民族教育はこれからの日本に絶対必要で、
これが欠けると国の発展はありません。

ただし民族教育とは、ゆとりをもって生きてゆくことなので、
今の時代、ことば通りの「ゆとり」では
国家教育の落ちこぼれになってしまいます。

心のゆとりを持てる“教育”と“社会”が必要なんです。

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国は、以前、「ゆとり教育」というものを推奨しましたが、
本来の「ゆとりの教育」とは民族教育、
つまり、心の教育のはずです。
そうではなかったので、上手くいかなかったのです。

最近になって「道徳」を教科化するという、
ちょっとズレた内容になっている感じですね。

国家教育の中での「ゆとり教育」や「道徳教育」は、
そう簡単には上手くいかないということです。
国家教育を強めると、平均した人間しか作れません。


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墓を守る

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宿命の中に墓守の役目がある人がいます。
そういう人はたとえ家を継がなくても、
墓を守っていく気持ちが大切です。
でも本来は、兄弟姉妹がいれば、
みんなで役割負担をするのが良いのです。
たとえその割合が均等でなくても。

墓を守るといっても、
墓がなくてはいけないということではありませんし、
立派な墓を作るということでもありません。
先祖のことを思い、子孫に伝えていくということなのです。

そして何より、兄弟姉妹が仲良く付き合い、
子どもや孫が世の中のために生きる、
それが最高の先祖供養になるのです。


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彼岸の持つ本当の意味

春の彼岸は、これから夏へ向かうという意味で、
先祖供養なら紫や白や青といった涼しい花を供えてください。
食べ物も、簡素で夏の暑いときでも食べやすいものを添えます。
そういう心遣いを先祖にも行なってほしいということです。

そういう仕来りが古来より有ります、
春、秋、のお彼岸になると、いつも紹介しているものがあります。
算命学十三代宗家、高尾義政先生の残した「彼岸」についての
お話の一部を書き添えます。
今回も、ぜひご覧下さい。

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お彼岸の行事と言いますのは、
いつ位から出来たのか考えられた事が有るかと思いますが、
日本では平安時代なんですね、
実はお彼岸の行事は、これは七五三のお祝いも
全て中国からの輸入品なんです、

日本古来にそういうものがあったのでは無くて
古代中国人が考えて中国の一つの仕来りとしてあったものが
いつの頃からか日本に入って来まして
日本の行事に生まれ変わって来る、

それが仏教と一緒になりまして
実際にお彼岸の原理と仏教とは本当は関係無いんですけれども、
いつの頃からかそれが合流しまして
仏教の儀式というような形で日本に伝わって来てる、

彼岸は誰の為にやっているかというと、
自分の為にやっているわけです、
遊ぶ心で仏様と一緒に遊ぶわけです、
自分だけが遊ぶわけでは無くて、
お墓へ行って、おばあちゃんこんにちは、この頃どうしていますかとか、
あの世の水は冷たいですかとか、お墓で会話をします、

今日はお墓で弁当を食べて花見でもしようと
茣蓙を引いて一杯飲んでも良いんです、
お墓を磨きながら鼻歌で一杯飲みながら
そういう楽しみながらお墓参りをすると
そこに非常に一家中そろって親も子も
何となくほのぼのとした明るさが生まれて来る、

それはどういう事をこのお彼岸が教えているかというと、
特別に人間というのは大仰な生き方をしなくても
人間にとって一番素晴らしい生き方というのは
普通の人、ただの人なんです、
これが一番大切なんだという事なんです、

私はこういう天才だとか、私はこういう実力で大成功したとか、
そんなのはあんまり偉いほうではないです、
当たり前に普通に来た、
そういう生き方が一番素晴らしいですよ
という事を教えているわけです、

そして人間の体あるいは生命体そして運命
そういうものを取り混ぜて非常に良いサイクルで
人間がある時に自分を思い返す、
そういった事を教えてくれているわけです、

「お彼岸の祀り方」より一部抜粋/1986.9.13

これが彼岸の持つ本当の意味です。

どんな時でも場所でも、
日常的に先祖を思い浮かべ感謝が出来る人なら、
墓も仏壇も位牌も必要はない。
でもなかなか先祖に思いを馳せられない人は、
その機会というかキッカケとして墓に行ったり、
仏壇に手を合わせればいい。


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先祖供養がなぜ大切なのか?

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先祖供養がなぜ大切なのか?

一つは私たちが今、生きているのは数多くの先祖たちのお陰なので、
先祖に感謝をしなくてはならないからです。
先祖なくしては自分たちはこの世に存在しないのです。

もう一つは、
私たちの沢山の先祖の中には
大なり小なり苦しんで亡くなっていった先祖がいるはずです。

その魂を癒してあげる、
それも現世で生かされている私たちの
務めといってもいいかもしれません。

 

お盆で田舎に帰省している方も多いはず、

日本の風習ですから、

先祖のみなさんの供養のためにも

みんなで思い出話に花を咲かせましょう。

 

「墓参りは心のゆとりを表す」

「遊ぶ心で仏様と一緒に遊びなさい」

と算命学宗家の高尾義政先生も仰っておられました。


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先祖供養で心を育てる

旧盆に入りました。
田舎でお過ごしの方もいると思いますが、
ぜひゆっくり、楽しいひとときをお過ごしください。

今年もご案内です。
時間があれば、下記のコラムをご覧いただければ幸いです。

【先祖供養で心を育てる】
http://raphael-j.jp/?p=312

ご覧いただいたことの無い方には、是非一度目を通していただきたい。
先祖供養というものが、運命学的にどうして必要なのか?
先祖供養って何なのか?
それがわかっていただけるコラムです。


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遊ぶ心で仏様と一緒に遊びなさい

子どもたちがお盆の楽しみにしている一つは、
親戚が集まることでしょう。
中には、正月とお盆の年に2度しか会えない
“いとこ”と遊べることも楽しみという人もいるはずです。

お盆というのは先祖供養だけでなく
現世で生きている親戚縁者との交流の機会でもあります。

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盆の送り火、これで今年のお盆の行事も終わりです。
日本の風習ですから、
先祖のみなさんの供養のためにも
みんなで思い出話に花を咲かせましょう。

「墓参りは心のゆとりを表す」

「遊ぶ心で仏様と一緒に遊びなさい」

と算命学13代宗家・高尾義政先生も仰っておられました。


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終戦記念日

終戦記念日

私は終戦から十数年後に生まれていますから
当然戦争の悲惨さや恐ろしさは体験していませんが、
私の子どもの頃は、
祖父母や両親がこの季節になると戦争の話を聞かせてくれました。

私の母は小学生の頃、名古屋で空襲にあい、逃げ惑い、
目の前で知人が爆死したという経験があったそうです。
当時すでに父親を亡くしていた私の母は、
幼い妹を背負い、弟の手を引き逃げ回ったそうです。
そんな体験を淡々と話してくれました。

また8月のお盆になると
昔は連日のように戦争映画や
懐メロ番組でも軍歌が流れ
戦争に対する何かしらの番組が放送されていたので
私のような世代でも戦争について自然と考えさせられました。

でもいつ頃からか、戦争映画は少なくなり、
軍歌を聞くこともほとんどなくなりました。

ある番組で、
今の若い人に”B29(爆撃機)”のことを言ったら
「そんなに濃い鉛筆があるんですか?」と言われたと・・

こうなってくると若者の無知の問題ではなく
戦争の事実を伝えきれない大人の問題ですよね。
我が家もすでに戦争体験者が一人もいなくなってしまいました。

子ども達に戦争についてどう説明するか、
私たち大人の責任です。

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春分とお彼岸

今日は『二十四節気』の「春分」です。
ご存じのように、太陽の中心が春分点
(天球上の赤道を太陽が南から北へ横切る瞬間の交点)
に達し、地球上の昼と夜の長さがほぼ等しくなる時です。
そしてそれを前後に7日間を「お彼岸」としています。

「お彼岸」は昔の人が春分・秋分に気付いてから、
宗教の世界で用いられるようになりました。

真西に日が沈むこの日、西方に浄土があるという仏教の教えと、
春分・秋分は昼夜が等分で長短のない中道の時で、
仏道もまた中道を尊ぶところから、
この時に仏事を行なうという考え方が生まれたと言われています。

仏教では大きな川をはさんで向こう岸(彼岸)に仏の世界があり、
私たちはこちらの岸(此岸) にいる、
我々の住む世界(此岸)が迷いの世界であるのに対して
「彼岸」は理想の世界、汚れのない浄土の世界なのです。

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「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますが、春の彼岸は夏支度を始めるという
昔の人の季節感と生活習慣だったのです。
そして彼岸は、この世に存在する全ての自然の神に感謝するということです。

あまり馴染みは無いかも知れませんが、仏教の「彼岸」に対して、
神道には「社日」というものがあります。
「社日」は春分点・秋分点の日に最も近い戊土の日と定められています。

仏教が悟りを求めて先祖をしのぶのに対し、
神道では、神と一番近づく日であるので、
土地の神や農業の神をまつる日としています。


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