【算命学とは】
算命学は約4000年前の中国大陸に於いて成立した自然科学・万象学をベースにした人間学です。その一部が現在、占星術として人生鑑定に活用されています。古代中国王家の帝王学として尊重され、処世術や軍略、あるいは政治に用いられ永い間秘伝とされてきました。その結果現代では継承者が数少ないのです。この学問によって個人の行動・思考、組織や集団の運命・動向、世の中の動き、自然現象、全ての事を理論的に読み取ることができます。
【算命学は占いでも宗教でもない】
算命学は「学問」です。ただ現実問題として「学問」だけでは仕事にならないので、便宜上「占い」というジャンルに身を置いています。それは算命学理論を使えば人間個人の性質や運気等が簡単に読み取れるので「占い」としても成り立つからなのです。でも他の占いとの違いはその的中率の高さです。また理論的に展開されますからカードや道具を使って偶然出る答えではありません。理論をしっかり勉強したものは、いつどこにおいても基本的に同じデータで鑑定出来るのです。
また算命学は宗教と比べられることがあります。でもまったく違うものです。宗教の思想が「全ての人の平等」を唱えているのに対して、算命学は「不平等」で人間はスタートしています。また算命学では運命は固定されたものではなく、自由にどこにでも進めていかれるものと説いています。ここも算命学での考え方と、宗教等の教えとの違いの部分です。過去を振り返ってあの時はそうなる運命だったというのは、全てを正しく語ってはいません。運命とは最初から決定しているものではなく、自分自身が起こす原因があって、結果的に生まれてくるものなのですから。
【宿命と運命の違い】
人間の生には宿命と運命があります。一般的には、宿命も運命も同じような感覚で、単に運命と呼ばれていますが、二つははっきりとした違いがあります。宿命は文字の通り命に宿っているもので、生まれながらにして持っているもの。それは何代もの血を受け継いで来ていますし、変えることはできません。でも運命は変えられます。運命は自分の手で運ぶもの。どちらへ運ぶか、どこから運んでくるかは自分次第ということです。
宿命と運命を一本の樹木に例えて説明しましょう。
ある土壌に大きく伸びていく枝・葉、それぞれを支える幹・根の全てが「運命」に相当します。しかし、その根元を作り上げた一粒の種は樹木に於ける「宿命」以外の何物でもありません。ただ一粒の種がどんなに立派な宿命を所有していたとしても、大木になる土壌に生まれるとは限らないのです。それは学者の要素(宿命)を持って生まれた者が、学問に理解ある両親に恵まれるとは限らないのと同じです。学者の要素を持つ者が商人の家に生を受けたり、商人の要素を持つ者が学者の両親を持つこともあります。そこに人間としての悲喜こもごもが生まれることになるのです。
ある宿命が、どこの家系に生まれ、どのような両親を与えられ、どのような家族構成に囲まれて、どのような教えを受けるのか・・といった土壌を土台として運命の花がやがて咲いていくのです。さらに、自分自身を支えてくれる配偶者や従って来てくれる子供達が、花に実を付けるかどうかの運命そのものなんです。
【算命学の歴史と背景】
算命学は約4000年前の中国大陸に於いて成立し、数千年の長きにわたって東洋の一握りの人達の間で受け継がれ、ある意味では眠り続けてきた思想学です。
人類が地上に現れて以来、何億年もの長い年月の間に、”肉体の世界” には自然界のリズムを基礎として一定の法則が創られました。世の中がどのように変化して、自然界のリズムが表面的には希薄化したように見えても、その法則は今でも厳然として存在しています。
そして肉体世界と共に存在しているのが精神世界です。
精神がどんなに自由でも、基本的には肉体あっての精神です。古代東洋人は、肉体は精神を受け入れている器と捉えて様々な角度から人間を分類し、その詳細をつかむことに成功しました。このような人類分類法が、中国占星術(算命学)となり、中国歴代王家に秘伝として伝えられることとなりました。
古代中国では儒教や道教など、多くの思想、哲学が生まれましたが、それらの根底になっているのは、古代中国人の自然観であり「人間の生き方として一番よいのは、自然に逆らわず自然のまま生きることだ」という考え方です。月は規則正しく満月になり新月になります。地上でも植物は、春には花が咲き、夏には葉が生い繁り、秋に実を結ぴ、冬には枯れていく、これが毎年くり返されるのです。古代中国人は、こうした自然の変化を分類し意味づけようとしました。「算命学」とは、実は、自然をどのように分類し意味づけるかの学問なのです。
この算命学は中国の全ての思想・哲学さらには仏教にも、あるいは漢方医学にまではいっているのです。これを占いに応用したのが、二千三百年も前の中国の戦国時代に生きた人「鬼谷子」です。
鬼谷子は動乱の世を生き抜くために、算命学を軍略に活用し、相手の性格や考え方、動向を探っり、軍略の書として『揣摩の法』を書き残しました。その後算命学は古代中国王家の帝王学として尊重され、処世術や軍略、あるいは政治に用いられ永い間秘伝とされてきました。やがて、その考え方が様々な占いに姿を変えていきます。
「12代宗家・呉仁和と13代宗家・高尾義政」
算命学はこのように長い年月にわたり中国の地で、一子相伝で伝えられてきましたが、中国国内での文化革命の動きが生じた頃、当時存在していた算命学師は弾圧のため国外に退避しました。そして発祥の地、中国国内からは算命学が途絶えたのです。
その中の一人12代宗家・呉仁和氏が日本に渡り、その理論と技術と意志を一人の少年に委ねました。それが日本人で初めて宗家となった算命学第13代宗家、故・高尾義政氏です。彼の意志により、膨大な原理が日本に初めて紹介されたのです。高尾氏は算命学を学問として残すために論文を博士号を取得しました。占いの技術が学問として認められている唯一の理論がこの算命学なのです。2000年以上もの算命学の長い歴史の中で、学問を継承した宗家は13代。
現在様々な占いがブームとして注目を集めていますが、これらは『占芸』と言われており、算命学宗家はその門下に「占道を求めよ」と説きました。120年前、『心理学』は「当てもの占い」と呼ばれた時代があります。後の世、『算命学』も学問として残したいと13代宗家はその意志を門下に託して逝ったのです。
算命学についてのQ&A
鑑定、相談の際に、よく質問されることがあります。一般の方の多くが疑問に持つものですが、その一例をご紹介します。
Q. まったく同じ誕生日の者同士だと、同じ運勢になるのですか?
A. 生年月日が全く同じ人は世の中に多く存在します。算命学の判断材料は基本的に生年月日と生別ですから、同性なら当然同じ結果が出るはずです。それがおかしいとお考えの方が少なくないでしょう。実際同じ誕生日で同じ人生を歩く人はいないはずです。では算命学の鑑定が外れているかと言いますと、そんなことはないんです。同じ生年月日の人でも一人一人違った鑑定結果が読みとれるのです。
それはどうしてかといいますと、人間は一人で生きていけないのはどなたも疑うことはないでしょうが、事実多くの人と接して生きています。その人達との関係から人生の流れも変わっていきます。具体的に言いますと、まず、同じ誕生日でも両親が違います。両親が違えば、環境も違ってきます。子どもの時はともかく大人になればなるほど人生に影響していきます。
たとえば、ここに商売の才能を持つ日に生まれた子どもが二人いるとします。一人は医者の子どもとして生まれ、一人は商売人の子どもとして生まれました。日本の悲しい現実として親は子どもに後を継がせたいと願うものです。医者の子どもには商売の才能はあっても医者としての能力が足らず、その結果途中で挫折することもあれば、何とか医者になっても、モノにならなかったりもします。あるいは病院の経営というところに商売の才能を発揮し、能力とは別のところで結果を出すかもしれません。一方商売人の子どもは持って生まれた才能を親の環境で活かし成功するかも知れません。同じ誕生日でも両親によって運命が違って来るというのはこのことなのです。
また、違ってくる要因として日本の場合、長男や次男と言った境遇にもよります。商売の才能を持った子どもが長男として商人の家で産まれれば、それだけ親の環境を使える可能性があるのに対し、次男だとどうしても独立しなければならない立場です。同じ商人の道でも家を受け継ぐか自分で作り上げるか、他人のところで働くかで、人生も大きく変わってくるでしょう。
そして、もう一つ運勢を変える大きな要因は、本人の決断です。商人の才能があったとしてもその道に進むかどうか、親の後を継ぐかどうかは本人の決めるところです。医者の子どもでも、医者にはならず商売を始める子どももいるでしょう。最終的には本人が運命を変えていることになります。
そして、後半の人生に大きく影響してくるのが結婚です。配偶者によってまた、子どもの出生によって変わってくるのです。一人一人結婚相手は違うわけですから、ここでもその差が出ます。
これらが、同じ誕生日に生まれても一人一人の人生が違うことの理由であり、こういった外因を判断材料に加えていきますから、一人一人の鑑定は違ってくるのです。
ここまでお話しますと、今度は新たな疑問が湧いてくるでしょう。一人一人違った運勢がその時々の判断や環境で変わって行くなら、人生鑑定は当たらないのではないのかと言うことです。ところが、同じ誕生日に生まれた人たちは、その運勢の周期や特徴といったリズム・サイクルが同じであり、考え方や行動パターンも共通していますので、環境さえわかれば、それぞれの人生は判読がつくというわけです。違ってくるのは運勢の上下の幅で、これは個人個人の努力の差といってもいいでしょう。
(当サイトの無料メニュー等においては、生年月日が同じ人は同じ内容が表示されます。それは基本的な宿命の条件が同じなので、気質や才能等は同じモノを持って生まれて来ていますから、基礎データとして同じ結果になります。しかし、運勢という点では、親や家庭環境、配偶者といった条件によって変わってきますので、実際の鑑定では生年月日が同じでも運勢は違って来ます。
Q. 双子の場合、鑑定は全く同じなのですか?
A. 生年月日の同じ人でも、基本的に運勢は違うとご説明しましたが、双子であっても、三つ子であっても、実際の運勢は違います。ただ、当サイトのメニューにおいては誕生日が同じなら、同じ内容が表示されます。
Q. 出生日と戸籍上の誕生日が違う人はどうなる?
A. 特に年輩の方で、家庭の都合や戦乱時の影響で本当の誕生日が解らないと言う方がいることは確かです。また、早生まれ、遅生まれの関係で、3月31日生まれでも戸籍に4月1日と届けた親御さんも多くいらっしゃるようです。さて、このような場合の疑問の声を時々耳にします・・
人間の宿命は、生まれた日の自然界のエネルギーから生じるものです。ですから、生を受けたその日が宿命を構成します。しかし、戸籍上の誕生日が違う人たちには、本来の出生日と戸籍上の日の両方の気の影響を受け、精神面には特に二面性が現れるのです。特に両方の誕生日を知っている人が、二つの誕生日を意識することによって顕著になり、「気」の質が変わってくる要因が備わります。それは社会的「気」の要因というべきもので、「坐気」といわれるものでもあります。
たとえば、3月31日生まれの人が、戸籍を4月1日にすると、その後の人生で、社会的に常に4月1日がついて廻ってきます。証書や登録、あるいは誕生祝い等々、これらの意識がやがて積み重なって、出生日である3月31日本来の気質に4月1日の気質が上乗せされてくるのです。
これは、大人になればなるほど、戸籍上の誕生日が自然になるほどその傾向は強くなってきます。自分の意識が知らない間に「気」エネルギーを呼び寄せていることになります。このこと出生日が解らない人には、後付の誕生日の質が強いものになっていくことになるので、出生日がわからなくても、運気が読み取れるのです。
本来、全てのエネルギーが常に自然界に存在し、見えないまでも常に肌に触れてはいるのです。意識するのとしないのとの差は生じますが・・。たとえば疲れには自然浴が良いと言われていますが、これは上記したことと一緒で、その場所にある自然の「気」、木々の「気」だったり、大地、海や川、太陽だったりします。それを意識して取り入れることなのです。
さて、誕生日に関して一言付け加えるなら、二つの誕生日をお持ちの方は、どちらか一方を意識から捨て去ることをお勧めします。二つの日を意識していると、精神の安定が損なわれるからです。算命学的にはどちらの誕生日を選んでも正誤、善し悪しはないのです。本人の生き方の問題ですから・・
Q. 名前は運気に関係ないのですか?
A. 全く関係が無いということではありませんが、大きく運気に影響するものではありません。ただ約束事はいくつかありまして、たとえば、親の名前の一文字をとって名付けるのは基本的に止めた方がいいのです。親から一文字もらってる人はかなりいるんじゃないでしょうか?
Q. 鑑定によっては内容に矛盾があるんですが、間違っていませんか?
A. 人の宿命はかなり複雑に出来ています。全てが白か黒かで色分けは出来ないのです。なので細かく分析して行くと、矛盾が出て来る人もいます。でもその矛盾が現実の私たちであり、その矛盾があることで、悩みや壁が出来たり、才能発揮したりするのです。ですから、鑑定が矛盾だと思われたとしても、決して間違っているということではありません。
Q. 算命学って占いですよね?
A. 世の中では「占い」というジャンルで活用されていますし、一般の方の認識もそうでしょうが、実際は理論形態がしっかり出来ている、一種の学問です。算命学という学問の一部理論を、占いという世界で利用しているだけなのです。「占いも出来る学問」そういうものだとお考えください。