老後が崩れる人は、50歳を過ぎても人生を意識して通るからなんです、
自分がやらなきゃ自分がやらなきゃという人ほど、
ありとあらゆる心配と苦労を考える。
何も考えず「自然の神」に自分の天命を任せてみると、
不思議に運勢を掴んでいけてしまう。
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何も考えず「自然の神」に自分の天命を任せるというのは、
「無」の境地になるのと同じです。
無という状態が、人間の運命を最大に活かす武器になるわけです。
では無の心というのはどういう心なのか?
無というのは、決して欲を持っちゃいけないとかそういうものではないんです。
無の状態の最大の掴み方というのは、
45才ぐらいを過ぎたら老後や死のことを考えないことなんです。
40代50代になったら、老後をどうしようか、
老後のためにちょっと貯金しておかなきゃならないとか、
子どもたちが心配だとか、いろいろ考えるわけです。それが普通です。
でも、あえて老後の自分を考えないこと。
考えない代わりに、今、自分がやれることをやる、
仕事があるならいつも通りやる、
夫や妻に対しては余計な世話や心配はしない、
子どもには自覚を持たせて口を出さない、
何にもしないというんじゃないんです、
自分の役割は役割でしっかり守っていく、
守っていくんだけど、「自分がやらないと・・」とか
「なんでこうならないんだろう?」とか考えないこと。
結果は神様に任せてみるという心境です。これが無の心。