宗教について

■現代の宗教団体

世の中が混乱したり、時代が動乱期になると「終末思想」を掲げた宗教団体がよく発生するようです。宗教家には大別すると二つのタイプがいて、人を導くことを真意に活動する人と、ビジネスとして展開する人です。現在活動している宗教家といわれる人達の中には、後者のビジネスの才能を活かした人が多いようです。

キリスト教も仏教も、正しい教義が伝わっていないのではないかと思えるぐらいです。

算命学は宗教を否定しているワケではありません。心の支えになって、それにより自分がブレずに生きて行けるなら、信じていけばいいのです。ただ、宗教団体や宗教家と名乗る人にはニセモノも多いということです。

断っておきますが「算命学」は宗教ではありません。「算命学鑑定士」は理論を駆使するのであって、霊感占いでもありません。時々ある話ですが、教祖になって欲しいとか、宗教団体を譲りたいとか・・あるいは、テレビ番組で霊能力を披露して欲しいなどというテレビ局からの問い合わせも受けることがあります。そういうときは丁寧にお断りいたしてます・・「少し算命学を勉強していただけないですか?」と・・。

 

仏教界では、最近、私利私欲に向かう僧侶が多過ぎますね。自宅がブランドだらけだったり、仏像を借金の抵当に入れたり、高額のお布施をとったり・・、億単位の申告漏れとか、覚醒剤使用とか、詐欺に加担したりとか・・トホホです。

本来、寺の僧侶というのは、一般庶民の下にいなければならない存在です。すべてを投げ捨てて、人と仏の世界に尽くす人、生活そのものも、庶民の庇護を受けて成り立つものです。みずから懐を肥やしてはいけないんですよ。それが一般庶民以上の豊かな生活にアグラをかいている住職が何と多いことか。

縁あってスリランカの僧侶、世界大菩提会総代表のバーナガラ・ウパティッサ僧正と知り合いになり、祖父母や両親の回忌供養をお願いしたり、お話をする機会がありました。

そのバーナガラ・ウパティッサ僧正は

日本の寺院仏閣や法人団体は株式会社になってしまっている

と嘆いていました。

私達へのお願い事や供養の際の祈祷には、お花をあげるだけでよい、お金はいらないと。

それが本来の小乗仏教の姿であると語ります。この時代ですから個人の趣味はしかたがないところでも、私利私欲は、仏門に携わる者としてのレベルの低さだと思います。

 

■神社とお寺の違い

神社とお寺の違いって明確にご存知ですか?

宗教の違いっていわれたら、それはそうなんですけど、神社は土地を守り、寺は死者・先祖を守る、という違いです。

神社は土地を中心として家やそこに住む家族を守ってくれます。一方、お寺は土地とは関係なく、家系、人の魂に携わります。日本人はこれをうまく使い分けているということです。

神官さんは、専門技術で自然の神の声を私達に伝えてくれる、神と人間の橋渡し役、そういうことでは、私達庶民の上にいる人とも言えます。一方、僧侶は本来、前述した通り、人と仏の世界に尽くし、庶民の庇護を受けて成り立つ役職なので、庶民の下にいなければならないと言えます。

ただ共通するのは、どちらも算命学のベースになっている思想が入り込んでいる、影響を受けているということです。今の神道の五色の旗も、仏教の極楽浄土思想も、算命学の五行説の影響なんです。

■怪しい祈祷商売

世間でよく聞くのは、霊能者や占い師、あるいは宗教団体が、運気を良くする、あるいは邪気を払うなどとして、お客に高額の商品を売りつけることがあります。この手の話は後を絶ちません。壺とか印鑑とかサイフとか掛け軸とか・・物で簡単に運気が変えられるなら、こんな楽な仕事はないですね・・

神社やお寺などにもお守りやお札は売ってます。でもそれは世間的に適正額での販売です。何万円もする明らかに高いという商品を売りつけるところは、怪しい商売と思っていいと思います。

全ての決断は、あなただけが出来ることです。占いも宗教も哲学も、算命学の鑑定も、その決断をするための資料みたいなもの。いかにその資料を整理し理解するかが大切です。良い条件は良さをさらに伸ばすために使い、悪い条件は自分を改革・改善するために使うことをおすすめします。

堀江菊美


※世界大菩提会

大菩提会というのは、世界中の知識人や理解者の協力を得て、広く仏教を広めるために発足された国際的団体です。仏教発祥の地であるインドの仏教衰退により、スリランカ仏教界がインドに代わって仏教の復興、仏跡の復興、学問的研究、社会福祉にいたる世界各地で福祉活動を行っています。また近年荒廃している世界各国の寺院遺跡の保護を積極的に行っています。