人はある程度、自分の性格を正しく理解しています。だから失敗した時自分の性格を自覚したり反省したりするんです。時には他人の性格まであれこれ指摘します。でも実際にどれだけ自分のことを理解しているのか?
ホントの自分を知らない人は実はほとんどの人で、特に自分の子どもとなるとその性格が親にはよく解らないようです。それを知る手段として算命学があるのですが・・。
子どもの「性格」といいますか「個性・パーソナリティ」が親の目に気になりだすのは3歳頃からです。実際は生まれてまもなくでも個性が出ているのですが、赤ン坊のときはだいたい”かわいい、かわいい”で過ぎてしまって、気がつかない親もいます。でも3歳頃になるとその年齢なりの自己主張をしだします。
で、親はこの子はこんな傾向があるとか、こんな質があるとか、こんな才能があるとか察知したり思ったりします。そして、どんな性格の子どもになっていくのか、ほとんどの親は期待と不安を抱えながら子どもの成長につき合っていくことになるのです。
私たち大人は「性格」というものを当り前のように言えますが、子どもはそうはいきません。子どもが性格というものを客観的に自覚したり反省したりし出すのは15歳を過ぎる頃からでしょう。十二支をひとめぐりめぐってからです。この本人が客観的に見られない15年ぐらいの間に子どもは性格形成をするわけで、大切な時間といわねばなりません。
世の中では親からの遺伝的な素質とか環境とか経験とか、いろんな要素がまじり合って、子どもの性格は形成されていくというのが常識ですが、実はもともと持っている要素(一人ひとり違っているが)をどのように発達させたかで決まるんです。
父親の性格や資質をまるで受けついでいないとか、母親にばかり似ているとか、両親のどの部分もあらわれてこないとか、不思議に思うことがあるでしょう。同じ親なのに、兄弟でどうしてこうも違うのかと驚くこともそうです。
4才5才の頃はきかん坊だったのに、学校を上る頃から急におとなしすぎる子になったなんていうこともあるものです。また、親は「情」とか「欲」というものがありますから、我が子の性格を見抜く目が曇り、しばしば裏切られるというようなことも起ってきます。
いずれにしても、子どもにとってはどのように育てられ、どのように性格形成がなされたか、子どもは責任の取りようがないと言えるでしょう。だからこそ、子どもの性格や個性について親が考えてみる、少くともどんな形で責任がとれるものか考えてみる必要があるのです。その鍵は、ある日あるとき、一組の親の子どもとして誕生した、その運命的な事実にあると考えられます。
目次
第一章 「子どもとの付き合い方」
第二章 「子どもにタテ社会とヨコ社会を教える」
第三章 「子どもの性格・個性を知る」
第四章 「子どもに幸運をつかませるには」
第五章 「男と女・運命の違い」
第六章 「男と女で育て方が違う」