人間はある”社会”の中に生まれ、その社会のメンバーとして成長していきます。生まれたばかりの赤ん坊にとっての”社会”とは、まず両親と家族です。そして成長すると共に隣り近所の遊び仲間や幼稚園や学校、そして職場へと”社会”はどんどん広がっていきます。
多くの社会集団に所属し、複雑多様な人間関係を持つことによって”社会”というものを現実的に生きていくわけですが、一生を通じて変らない集団は親子あるいは家族をおいてほかにありません。
生まれたての子どもにとって親こそが、最初にして最小の社会集団である。それはたいへん大きな意味を持っています。
世の中というのは大まかに分けると、”集団”と”個人”のこの二種類しかありません。一人でポツンといるか、誰かがいるかということで、この世の中の人間関係は二種類しかないのです。生まれたばかりの赤ン坊にとって、その誰かとはもちろん親ですね。
この親は、ある日どこかで縁あって巡り合った一人の男性と一人の女性です。共に個人ですが、世の中で一番小さい”夫婦”という集団を作ります。ということは、赤ん坊という一個人は集団が生み出したものです。集団から個人が生まれるんです。
人間の個人はけっして個人からは生まれません。個人と個人が結婚して集団ができ、その集団から子どもができ、孫ができ、そして代々繋がっていくわけです。親(集団)が主で子ども(個人)が従の、タテにつながっていく上下関係です。
しかし、最近の世の中は間違いをしていまして、親子は上下関係であることを忘れ出しているんです。親が主で子どもが従だというと、頭が古いのではないかといぶかる人も多いでしょう。親と子の友達づき合いなんていうのがもてはやされたりしているくらいですから。
少し皮肉ないい方をすれば、上下関係でモノが言えない親がどんどん増えています。子どもに強く出れない、きつく云えない。子どもも同等の人間だから上下でものを言ってはいけないというわけです。
世の中がどこかおかしくなってきた、住みにくくなってきたのは、親子関係の親(集団)が主で子(個人)が従であるということを置き忘れた結果なんじゃないかと・・。
また、子どもが子どもらしさを失い、さまざまな社会的不適合を起す事件が頻発しているのも同じことです。親子関係の中で、上下の意識・感覚を身につけないで成長していくと、必ず集団、つまり社会生活の中で不適合を起すことになります。
上下関係とは、ひらたくいえば目上と目下です。親というのは集団で目上、子というのは個人で目下。理屈抜きにそうです。目上目下というタテ割り感覚を子どもに植えつけて子どもとつき合っていかないと、ヨコ割り社会の世の中へ出て行っても何がなんだかわからない子どもにしてしまいますよ。
目次
第一章 「子どもとの付き合い方」
第二章 「子どもにタテ社会とヨコ社会を教える」
第三章 「子どもの性格・個性を知る」
第四章 「子どもに幸運をつかませるには」
第五章 「男と女・運命の違い」
第六章 「男と女で育て方が違う」