●親の”思いこみ”が子どもをつぶす!!
例えばここに、短気で粗暴な子どもがいるとします。乱暴者は世の中に出ても役に立たず爪弾きにあってしまうと親は心配します。ところがもし、その子が成長した頃、世の中が動乱の時代に入って戦争が勃発したということにでもなると、その子は戦場で武勲を挙げ、天下の英雄になる、ということになるわけです。
また逆の場合、おとなしい子どもがいたとします。親のいうことをよく聞く大変良い息子です。平和な時代が続くなら、その子は時代と共に親思いの優しい平和な生き方をするでしょう。しかし、世の中が動乱期になり、人々が右往左往する時代におとなしくて良い子が世の中を乗り切って行くのは大変なことになります。
極端な例をあげましたけれども、このように人間の運命というのは、自己の持っている性格、とりわけ子ども時代の性格の良し悪しでは決して評価しきれないものなんです。人間の価値を決めるのは時代と社会、つまり背景なのです。
ところが、親というものは往々にして我が子の性格を、自分の尺度で振り分けてしまいます。親のいうことを聞かないから、あいつはダメな子だとか、勝手にいい子とか悪い子だとかを分けてしまうんです。この親の思いこみは、子どもが内面に持っている成長の芽をつんでしまうことになりかねません。子どもの性格の良し悪しは親がある瞬間、ある場面で決めつけることはできないということを忘れてもらっては困るのです。
「人間の評価は時代と社会、つまり背景が決める」と言うのは、これは一日という単位でみてみればもっと身近かにおわかりいただけると思います。
例えばここに、ノンビリした性格の子どもがいるとします。親の目から少し愚図なくらいノンビリおっとりしています。あわただしい朝には、親にとって扱いにくいに違いありません。「早く起きなさい」[早く顔を洗い服を着なさい」「早く食事をすませ、遅れないように学校へ行きなさい」などと手間がかかることでしょう。もっとテキパキと要領よく動く性格になってくれたら、と思うかもしれません。
が、さてこの子が夕食時にはどうでしょうか?「腹、減った。早くメシにしてくれ」などと母親をせかすこともなく、父親の帰宅を待ち、一家揃ってゆっくり食事し、ガタガタと食卓を騒がすこともない。親のぺースに合わせて食事を終え、ノンビリと両親と共に食後のだんらんに時を過します。落ちつきのあるおとなしい子どもというわけです。
この子のノンビリした性格は早くなったり遅くなったりはしないのですが、それが一日の中でも朝は悪い子になって、夕方には良い子になるというようなことが起ってしまうんです。
ノンビリで行くのは変っていない、変っているのは時間だけなんです。背景なんです。それをたとえば、朝の時の印象だけで悪い子にされては、子どもはかなわないですよね。また、夕食時の印象だけで良い子にされてしまうのも問題で、子どもを見る眼が曇ってしまうことになりかねません。
目次
第一章 「子どもとの付き合い方」
第二章 「子どもにタテ社会とヨコ社会を教える」
第三章 「子どもの性格・個性を知る」
第四章 「子どもに幸運をつかませるには」
第五章 「男と女・運命の違い」
第六章 「男と女で育て方が違う」