■五つの徳■
算命学では人間の性格の根本は「本能」から出て来るとお話ししました。その本能とは、【守りの本能】【伝達の本能】【引力の本能】【攻撃の本能】【学びとる本能】の5種類ですが、算命学を考えた人たちは、この守りの本能とか引力の本能といってもなかなか理解されにくいので「五徳」という方式で説いています。
「徳」という言葉は、辞書などでは「身についた品性」「社会的に価値のある性質」「人格的能力」あるいは、利益も意味し「得」に通用するとも説明されています。”早起きは三文の得”といいますが、もともとは”三文の徳”と書いたものです。
「徳」とはその人にとって”得になるもの”といった方が若い人たちには通りがいいかもしれませんし、「品性」というよりは、広く「人柄」とか「パーソナリティ」とおきかえても構わないと思います。
ここで言う五徳とは、学びとる本能と言うかわりに「智徳」、守りの本能を「仁徳」、伝達の本能を「礼徳」、攻撃の本能を[義徳」、そして引力の本能を「信徳」として具体的に定義し、人格や性格の形成に応用したのです。
人はそれぞれこの5つの徳(本能)のバランスに違いがあります。そのバランスの違いが個性にもなっているのですが、基本的にはどの「徳」もほどほど身につけた方が良いのです。たとえば・・・
「仁徳=守りの本能」
仁徳というのは奉仕の心、ボランティア精神が大きな内容です。人情に厚くなるとか人の情に通じるということも仁徳のうちです。「自分は人からいじめられたくないし、災いや責めを受けたくない」というなら、自分を守っていようと思ったら、まず仁徳を備えなさいということになります。人助けも何もしない、奉仕もしない、人が困っていても振り向きもしない。そういう人がこんどは自分が窮地に追いこまれたときに、誰が助けてくれるのか?誰も助けてはくれないでしょう。それは自分で自分が〈守れない〉のと同じことです。つまり守りの本能、ボランティア精神を持つことで「仁徳」をみがいておけば、やがて自分が救われるということなのです。
「礼徳=伝達の本能」
礼徳というのも、自分の心を人に伝える、わかってもらう。そのことをより適確に伝えるためには礼儀・礼節が必要だということです。無礼な人の言うことをまわりの人は真剣に聞いてくれませんよね、つまり相手に自分の言いたいことを聞いてもらうには、あるいは認めてもらうには、まず礼儀をキッチリしておきなさいということなのです。
「信徳=引力本能」
引力本能を信徳と呼ぶのは、いうまでもなく「信用」や「信頼」のある人は多くの人を引きつけるからです。また「自信」や「威信」がある人にも人は集まります。人が集まると言うことはモノも集まるということになります。「人気」は「信気」なのです。人を引きつけたかったら「信徳」を備えるほかないのです。
「義徳=攻撃の本能」
義徳というのは、ちょっと理解し難くいかもしれません。「義」というのは「すじみち」とか「条理」とかを意味します。「すじみちを立てる」「条理を尽す」というように使います。つまり”行動力”を伴うのです。たとえば”義父”とか”義兄弟”とかいう使い方も「無関係だったものと関係を結ぶ」ことですから行動があって生まれます。積極的な行動力や前進力は攻撃本能ですから、義徳は行動力に通じるのです。つまり義徳を磨くには「積極的に他人と交わりなさい」「大いに体を動かしなさい」「まずは行動しなさい」ということになります。どんなに正しい心を持っていても行動無くしては何も表現出来ません。体力的能力をたかめたり、人間関係を作ったり打開したりすることが大切なのです。
「智徳=学びとる本能」
智徳はわかりやすいでしょう。智徳を身につけるには学問をしなさい、知識や技術を身につけなさい、本を読みなさい、いい映画(テレビ)を見なさい、人の話をよく聞きなさいということです。
目次
第一章 「子どもとの付き合い方」
第二章 「子どもにタテ社会とヨコ社会を教える」
第三章 「子どもの性格・個性を知る」
第四章 「子どもに幸運をつかませるには」
第五章 「男と女・運命の違い」
第六章 「男と女で育て方が違う」