人生を山登りに例えると・・

人生をマラソンに例えたり山登りに例えたりします。
生きている間、頂上に向かって歩き続ける
というイメージが人生なわけで、
雨の日もあれば、晴れの日もある、
一気に駆け抜けるときもあれば、
休憩するときもあるのです。

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人生を山登りに例えると、
15才ぐらいまでの子どもは、
既に山を登り始めてはいるのですが、
まだまだ準備しながら平坦な道を歩いて
本格的な厳しい山道に備えている時代です。

知識を身につけたり身体力を養ったり、訓練のようなものです。
そして行事や節句などを通して、
周囲の自然の神様たちにご挨拶に回ったりしているわけです。

15才になれば、いよいよ道が傾斜していく、
60歳になって、ようやく5合目というところです。


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本をよく読む子は「知力」が多い

子どもの頃は純粋に才能が発揮されるので、
本をよく読む子は「知力」が多く、
運動が好きな子は「攻撃力」の才能が高かったり、
よく食べよく寝る子は「引力」の才能が強いのが判ります。
自分の才能を見失っていたら子どもの頃を思い返してみましょう。

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運命学でも、本を読むことは
才能を伸ばすのに役立つことがわかっています。

本と言っても、様々なジャンルのものがあり、
小説、伝記、歴史書、詩集、エッセイ、
哲学書に絵本、経済書に自己啓発本
趣味の本に写真集などなど、
総称として「本」としていますが、
微妙に意味合いが違ってきます。

文字で綴る本と、絵本や写真集では
鍛えられる感性がかなり違います。

具体的に言うと、
小説家の才能と、画家やカメラマンの才能はちょっと違うのです。

ただし子どもに対しては、
将来何になるかは関係なく、様々な本を読ませると良い。

文字から習得するチカラを得ます、
たとえば言葉やストーリー、その構成力、
文章から想像することで、創造力を鍛えられます。

絵や写真からは、色彩や表現といった伝達力を感じ取り、
感受性が磨かれます。

その他にも、過去の慣習や、歴史、人間の生き方を
本は教えてくれます。

子どもにとっては大人になるための必要な情報が、
あらゆる本に含まれているのです。
子ども時代の読書は、必ず大人になってから役立ちます。
年齢に合ったレベルの本が適切に渡されると
更に良いのですが・・


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「悪意のある嘘」と「愛のある嘘」

ウソをつく回数が増えて
ウソが上手くなると運気は下がっていきます。
ただし悪意をもったウソの場合です。
相手を思いやって、しかたなくつくウソはそれほど影響しない。
何でも本当のことを言えば良いというものではないのが
人間の世界。

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4月1日はエイプリルフール
かなり昔から定着した習慣なっていますが、
その起源は不明らしいです。
でも昔に比べて、
近年はあまり使われていないんじゃないでしょうか?
マスコミや、企業がPRを兼ねたもの等は目立ちますけど。

エイプリルフールのウソは「嘘」というよりも
ジョークやネタと言った方が正しいでしょう。
不快になるウソではなく、笑える冗談・・
ただ、今年は、世界中がエイプリルフールどころでは無いでしょうね。

日常での「ウソ」と「ジョーク」の境目や
「悪意のある嘘」と「愛のある嘘」
この違いを理解しないと、運気も落としかねません。

自分では笑えても、相手は笑えないとしたら、
それはもう「マイナスの気」になっているわけです。

子どもは、知識的にも感覚的にも、まだこれを理解出来ません。
せめて大人が理解しておかないと、間違った感覚で子どもに伝わり、
結果的にそれがウソになったり、イジメになったりするかもしれないのです。


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民族教育はこれからの日本に必要

民族教育はこれからの日本に絶対必要で、
これが欠けると国の発展はありません。

ただし民族教育とは、ゆとりをもって生きてゆくことなので、
今の時代、ことば通りの「ゆとり」では
国家教育の落ちこぼれになってしまいます。

心のゆとりを持てる“教育”と“社会”が必要なんです。

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国は、以前、「ゆとり教育」というものを推奨しましたが、
本来の「ゆとりの教育」とは民族教育、
つまり、心の教育のはずです。
そうではなかったので、上手くいかなかったのです。

最近になって「道徳」を教科化するという、
ちょっとズレた内容になっている感じですね。

国家教育の中での「ゆとり教育」や「道徳教育」は、
そう簡単には上手くいかないということです。
国家教育を強めると、平均した人間しか作れません。


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親と子の相違

親と子は一緒に暮らしていても、本質は違います。
しかしやがて子は親とよく似た大人になって行く。
そこに親と子の因縁ともいうべき
形になって見えない結び付きが存在するのですが、
それを受け入れて暮らすことに大切さがあります。

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「鳶が鷹を生む」とか
「カエルの子はカエル」とか、
親子の関係を表すことばは数々ありますが、
運命学的に言うと、
親子関係を形付けるのは、「宿命」と「環境」です。

「鳶が鷹を生む」は、親と子であっても、
宿命の質は違うので、全く違う人格なのですが、
そこには何かしらの共通性はあるのです。

「カエルの子はカエル」は、宿命的な共通性というものは確かにあるのですが、
環境の影響が大きい場合が多いのです。
親の育て方や、親の考え方、親の好みなど、家庭環境が子どもを作るのです。

子どもが親に似てしまうポイントはココなんですね。


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卒業式の記憶

私の時代の卒業式は、
「君が代」に始まり、「校歌」「仰げば尊し」「ほたるのひかり」が定番でしたが、
今はほとんど無いそうですね。

「君が代」でさえ歌えない子どもが多いようです。
娘も「ほたるの光」を知りませんでした。
平日の夕方、下校時間にも流れないそうで、
そういうものなのかと・・

いくつかの学校の「君が代」問題は、昔からありますが、
時代によって卒業式の演出も当然ながら変わるわけですね。

私の時代、私の小学校には、体育館がありませんでした。
なので卒業式は、いくつかの教室の壁の木材を外して、
式場となる空間を作りました、木造校舎ならではの工夫です。

それらの作業は卒業生を送る5年生の役目でした。
卒業式のニュースを見て、懐かしく思い出しました…


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何かに気づくか、何も気づかないか

日常で失敗したことや、
季節で感じたこと、
子どもや他人に言われてハッとしたことなど、
今までのあなたの価値観の枠から出た「気づき」が
新しい考えを生みます。
何気ないことの中に潜んでいる意味を
読み取るクセを付けましょう。

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特に子どもの純粋な心から出てくる言葉は
かなり核心を突いている場合があります。

また大人の理性や常識の枠からは出て来ないものを
子どもは感じ発想します。
そこから気づかせてもらえるものがあるのです。

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自然界にあるものには、季節にも、動植物にも、
世の中にあるもの、起こること、
人間の言動にも、全て意味があります。
それに気づくかどうか、感じるかどうかです。

何の意味も無いようなことでも、
実はキッチリ意味がある。

そういう感覚で日常を捉えて行くと、
いままでと違った今日がやってくると思います。


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墓を守る

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宿命の中に墓守の役目がある人がいます。
そういう人はたとえ家を継がなくても、
墓を守っていく気持ちが大切です。
でも本来は、兄弟姉妹がいれば、
みんなで役割負担をするのが良いのです。
たとえその割合が均等でなくても。

墓を守るといっても、
墓がなくてはいけないということではありませんし、
立派な墓を作るということでもありません。
先祖のことを思い、子孫に伝えていくということなのです。

そして何より、兄弟姉妹が仲良く付き合い、
子どもや孫が世の中のために生きる、
それが最高の先祖供養になるのです。


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親孝行したいときには親はなし

多くの子どもは、青少年期に親に反抗します。
親に感謝の念をいだくときは、
そろそろ白いものが頭に目立つ年頃となっているものです。
その時に親が健在であれば幸福な人と言えるでしょう。

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若い時代は、自分のチカラだけで生きていっているような、
世の中が自分中心に回っているような錯覚をします。
でも、実際は、親や先祖、
そういう見えないチカラが働いているのです。
どんなに親からの仕打ちが辛かったとしても、
親からの恩恵を受けたことが無くても、
世に反した親だったとしても、
親がいてこその自分なのです。
それを肝に銘じて生きていくこと。

愛情を注いで育ててくれた親が健在であれば、
感謝を忘れずにいること、
それを態度や言葉で表すことが大切です。
どんなに理不尽で憎しみが沸く親であっても、
それは変わりないのです。

自分を振り返ってみてください。
親に反抗したことがあれば、
子どもも同じように反抗するものです。
そして、親のありがたさや感謝は、
子どもがあなたと同じくらいにならなければ感じないと
思っておくことです。

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彼岸の持つ本当の意味

春の彼岸は、これから夏へ向かうという意味で、
先祖供養なら紫や白や青といった涼しい花を供えてください。
食べ物も、簡素で夏の暑いときでも食べやすいものを添えます。
そういう心遣いを先祖にも行なってほしいということです。

そういう仕来りが古来より有ります、
春、秋、のお彼岸になると、いつも紹介しているものがあります。
算命学十三代宗家、高尾義政先生の残した「彼岸」についての
お話の一部を書き添えます。
今回も、ぜひご覧下さい。

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お彼岸の行事と言いますのは、
いつ位から出来たのか考えられた事が有るかと思いますが、
日本では平安時代なんですね、
実はお彼岸の行事は、これは七五三のお祝いも
全て中国からの輸入品なんです、

日本古来にそういうものがあったのでは無くて
古代中国人が考えて中国の一つの仕来りとしてあったものが
いつの頃からか日本に入って来まして
日本の行事に生まれ変わって来る、

それが仏教と一緒になりまして
実際にお彼岸の原理と仏教とは本当は関係無いんですけれども、
いつの頃からかそれが合流しまして
仏教の儀式というような形で日本に伝わって来てる、

彼岸は誰の為にやっているかというと、
自分の為にやっているわけです、
遊ぶ心で仏様と一緒に遊ぶわけです、
自分だけが遊ぶわけでは無くて、
お墓へ行って、おばあちゃんこんにちは、この頃どうしていますかとか、
あの世の水は冷たいですかとか、お墓で会話をします、

今日はお墓で弁当を食べて花見でもしようと
茣蓙を引いて一杯飲んでも良いんです、
お墓を磨きながら鼻歌で一杯飲みながら
そういう楽しみながらお墓参りをすると
そこに非常に一家中そろって親も子も
何となくほのぼのとした明るさが生まれて来る、

それはどういう事をこのお彼岸が教えているかというと、
特別に人間というのは大仰な生き方をしなくても
人間にとって一番素晴らしい生き方というのは
普通の人、ただの人なんです、
これが一番大切なんだという事なんです、

私はこういう天才だとか、私はこういう実力で大成功したとか、
そんなのはあんまり偉いほうではないです、
当たり前に普通に来た、
そういう生き方が一番素晴らしいですよ
という事を教えているわけです、

そして人間の体あるいは生命体そして運命
そういうものを取り混ぜて非常に良いサイクルで
人間がある時に自分を思い返す、
そういった事を教えてくれているわけです、

「お彼岸の祀り方」より一部抜粋/1986.9.13

これが彼岸の持つ本当の意味です。

どんな時でも場所でも、
日常的に先祖を思い浮かべ感謝が出来る人なら、
墓も仏壇も位牌も必要はない。
でもなかなか先祖に思いを馳せられない人は、
その機会というかキッカケとして墓に行ったり、
仏壇に手を合わせればいい。


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